Mercedes Story
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ミスター・セーフティと呼ばれた男
こうして1939年、開発部の中にバレニーを中心としたセーフティ研究のための部門が設けられました。メルセデス・ベンツの安全への試みは、すでに戦前からスタートしていたのです。

しかし、理想の環境を手に入れたのも束の間、戦争がまたもバレニーの足を引っ張ります。同じ年にドイツはポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まったのでした。終戦と同時に職を失ったにもかかわらず、彼は1948年に復職するまでの数年間、根気よく設計を続けます。そして1953年、バレニーの偉大な業績であるモノコックを使ったセル構造ボディ、つまり衝撃吸収ボディが、メルセデス180シリーズとして世に出たのです。6年後の1959年には、今日のパッシブ・セーフティの基本となる、フルモノコックを採用したW111型・220シリーズとして完成され、ついに彼の長年の努力は実を結びました。

さらに時代も動き始めていました。60年代に入ると、メルセデス・ベンツの広告戦略にも変化が現れます。それはバレニーにとっての追い風で、それまで自動車レースをメインにしていた宣伝活動に変わり、メルセデスの安全性を訴える広告記事が徐々にふえていったのです。

安全性への認識が高まるにつれ、メルセデス・ベンツにおけるバレニーの存在も大きくなり、いつしか彼は“ミスター・セーフティ”と呼ばれるようになりました。バレニー自身は1972年に引退しますが、1982年に作られた、バレニーの衝撃吸収構造に関する特許状を掲げた広告記事は印象的であり、彼の存在の大きさをわからせてくれます。

かつての同僚であった、デザイナーのヨーゼフ・ミューラーは、バレニーをこう評します。

「私が出会ったなかで、もっとも多才な発明家です。彼は何よりもまず“発明家”なのです。そして最大の功績は、やはり乗員の安全を確保したことでしょう」

バレニーは、ダイムラー・ベンツに在籍中の34年間で実に2500件の特許を取得しています。そして、1994年にはアメリカ・デトロイトの「自動車殿堂」入りを果たします。これはダイムラー・ベンツとしてはゴットリープ・ダイムラー、カール・ベンツ以来の快挙でした。

また、さらに重要なことは、バレニーの残した膨大なアイデアと特許が、今も絶えず見直されているということです。最新のもっとも大きな成果といえるのは、エンジンやギヤボックスなどのパーツをすべて床下に収め、衝突安全性と快適性を両立させたAクラスです。バレニーは行く末を見届けることはできませんでしたが、彼の後を継いだ技術者たちは、Aクラスを新世代のコンパクトクラスに仕上げたのでした。稀代の天才とその志を引き継ぐ者たち──このようにして、メルセデス・ベンツの安全性能は確かな伝統となっているのです。
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- 1954年デビューの220a
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1954年デビューの220a
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その前の代の220
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その前の代の220
180シリーズに続き、翌1954年には220シリーズがモデルチェンジ。フェンダーが消えモダンなフラッシュサイドボディとなった
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- メルセデス・ベンツ Aクラス
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メルセデス・ベンツ Aクラス
メルセデスの新しいコンパクトカー、Aクラスにもバレニーのセーフティ思想は生きている
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- メルセデス・ベンツ Aクラスのエンジン
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メルセデス・ベンツ Aクラスのエンジン
Aクラスはエンジンやトランスミッションなどのパーツを床下に収める。衝突安全性と居住性が高レベルでバランスしたレイアウト
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