Mercedes Story
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戦後レース復帰への序曲 ~伝説のスポーツカー“300SL”をめぐって~
名車と呼ばれるクルマたちは、必ずしも性能や飛び抜けた個性だけで、人々の記憶にとどめられているのではありません。レーシングカーも市販車も、それぞれの時代の中で、作り手とクルマを受け取った人々の想いが重なったとき、共感が呼び起こされ名車が生まれるのです。ゴッドリープ・ダイムラーとカール・ベンツが生み出した最初の自動車、ウィルヘルム・マイバッハが手がけた初めてのメルセデス“35PS”、初代シルバーアロー“W25”――メルセデスの歴史を彩る名車の影には、いつもそこに人々の情熱が存在しています。

1952年メルセデス・ベンツに戦後国際レースへの華々しい復帰をもたらしたレーシングカー “300SL”。このクルマにも、メルセデスのモータースポーツ活動をリードし続けた不世出のエンジニア、「レーサーよりもクルマを速く走らせることができる」とまで言われたルドルフ・ウーレンハウトの強い意志が流れています。
名車300SLの生みの親 ルドルフ・ウーレンハウト

名車300SLの生みの親
ルドルフ・ウーレンハウト
ルドルフ・ウーレンハウトが、ダイムラー・ベンツでのキャリアをスタートしたのは1931年、最初の仕事はレースとはほとんど関係のないものでしたが、彼の才能はすぐに認められました。35年に乗用車開発部の実験エンジニアになると、さらに翌1936年、弱冠30歳にして、レース部門の開発責任者に抜擢され、W25の後継車として無敵を誇ったW125を設計。自らテスト車のステアリングを握るなど、全精力を込めて世界グランプリに送り出します。1937年、ウーレンハウトは乗用車開発部で主任技師の地位を得ますが、レースへの情熱が冷めることはありませんでした。彼はメルセデスのファクトリーチーム監督、アルフレート・ノイバウアとともに各地のサーキットを転戦し、技術者としての才能にさらなる磨きをかけていきました。

そして第2次世界大戦後、ウーレンハウトにさらにその才能を発揮する場が訪れます。戦後復興期のメルセデス・ベンツにとって、まず超えるべき大きな命題は、中断していた国際レースへの復帰でした。モータースポーツこそがメルセデスの技術力を向上させ、その勝利が再び名声をもたらすことを彼は知っていたからです。再出発を目指すメルセデスにとってモータースポーツへの復帰はまさに必然といえました。

1951年グランプリレースへのドイツのエントリーが認められるようになると、彼らは新たなレーシングカーの設計によってその1歩を踏み出します。開発責任者となったウーレンハウトは、設計担当のヨーゼフ・ミュラーとともに、第2次世界大戦中温めていたアイデアを具現化し、“300SL”を誕生させます。それは、軽量かつ強固なチューブラー・スペースフレーム構造を採用した、まったく新しい思想に基づくレーシングカーでした。

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試験走行中の300SLRに乗るウーレンハウトと彼の息子ローガー

試験走行中の300SLRに乗る
ウーレンハウトと彼の息子ローガー



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