Mercedes Story
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ミスター・セーフティと呼ばれた男
自動車に限らず、画期的といわれる発明は、決して一人の人間のなかから湧いて出るものではありません。画期的な発明はおそらく、時代の大きな流れのなかで個々のパーツとして現れ、その時代の意志を敏感に感じとった人間──それを天才といってもいいでしょう──によってひとつに統合されるのです。
前回お話しした、近年のメルセデス・ベンツの大きな柱である安全性能も、そうした一人の天才技術者によって方向づけられたものなのです。

その男の名は、ベラ・ヴィクトル・カール・バレニー。彼は1907年にオーストリアのヒルデンベルクで、父オイゲンと母マリアの三男として生まれました。父はオーストリア帝国の中尉、母はオーストリア屈指の資産家の家系と、裕福な上流階級に属する家庭でした。母親の実家には高級車アウストロ・ダイムラーなどの贅沢品が揃えられ、少年時代のバレニーはそうした上流社会のなかで、ごく自然に自動車に接しながら育っていきました。

当時のメルセデスの自動車作りは、自動車レースで証明した高性能を背景に、大排気量エンジンの高級車がドイツ皇帝やヨーロッパの貴族たちに愛され大きな成功を収めていました。バレニーもまた自動車に魅入られ、技術者への道を進みますが、それは必ずしも平坦ではありませんでした。彼がオーストリアで自動車技術を学んだ1920年代前半のヨーロッパは、第1次世界大戦後の混乱期。未曾有のインフレにあえぐドイツでは就職の機会も限られたもので、バレニーもご多分にもれずいくつもの会社を渡り歩きました。

それでも、バレニーの自動車設計への意欲は、まったく衰えることはありませんでした。彼はヨーロッパの各地でフリーランス的に仕事を続けながら、研究論文の発表などで着実に実績を積み重ねていきます。彼は神様からもうひとつの才能を賜っていたのです。それは、人並みはずれた粘り強さでした。

注目したいのは、バレニーがそのキャリアの最初から、乗員の安全性を重視していたことです。彼にとって自動車は、まず安全な乗り物でなければならず、それこそが彼の終始一貫した設計の基本でした。そしてこの時期に、後のドイツ国民車構想に大きく影響し、現在の常識となった、ボディのセル構造、スイングアクスル、そしてリアエンジンレイアウトなどの優れたアイデアを、図面上とはいえ、完成させているのには驚かされます。

そんなバレニーに、ついに脚光があたったのは1939年のこと。彼の才能に注目したのは、ダイムラー・ベンツ社の当時の社長、ヴィルヘルム・ハスペル博士でした。

「これからのクルマは、アクスルもボディも、シャーシもステアリングも、すべて今とは違ったものにしなければいけません」

ハスペルは、自動車の未来を語るバレニーの言葉に感心し、すぐにポストを用意しました。

「われわれは、会社として行き当たりばったりでいてはいけないと思う。バレニー君、君は15年も20年も先のことまで考えているようだ。だから、ジンデルフィンゲンに来たら仕事の山に埋もれることになるだろうね。そして君の発明は即時特許部行きにしよう」

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ベラ・バレニー氏

ベラ・バレニー
“ミスター・セーフティ”ベラ・バレニーはダイムラー・ベンツに34年在籍。2500件もの特許を取得した
1994年10月の雑誌広告

1994年10月の雑誌広告
バレニーは日本の広告にも登場している。2代目“ミスター・セーフティ”グラントラム・フーバー(右)に実験用ダミーのマックス(左)とスリーショット

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